江戸崎城の謎に迫る〜その1

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江戸崎城の謎に迫る〜その1

江戸崎城と土岐原氏
 嘉慶1年(1387)美濃(岐阜県)出身の武士、土岐原氏が、室町幕府の重職である関東管領上杉氏
の求めにより、信太庄惣政所(そうまんどころ)=直接土地に根付いて統治する職務者としてこの地に
入り、江戸崎城を築きました。築城年代は室町初期頃と推定されています。
土岐原氏は、稲敷地方一帯を約200年間にわたり統治し、江戸崎まちなか地区の原型を作りました。

土岐系図には、土岐原景秀が江戸崎城を修築したと記されています。
その後、景成−治頼−治英−治綱と5代の居城となります。
天正18年(1590)、土岐原氏は没落し、芦名盛重が入城し、秋田へ去るまで居城としまた。
その後廃城となり今日に至ります。

江戸崎古城図(広島市立中央図書館浅野文庫蔵「諸国古城之図」)
広島藩主浅野家に伝えられた日本各地の古城図の一葉。江戸時代前期の時点で既に廃城となっていたもの。
戦国武将の為の、全国の城攻略マニュアルのようなものと思われる。同時期に現存した城の記録は「諸国当城之図」という。
絵図は、方位が不正確なため、上下反転すると、現在の地図と比較しやすくなる。
向かって左側の川が現在の小野川である。

この図からわかることは、
1.江戸崎城は周囲に堀を巡らした本城、二ノ丸、三ノ丸からなる。
2.現在の江戸崎小学校が本城に当たり、現在の鹿島神社南側の堀
跡が本城と二ノ丸の間の堀と推定される。
3.大念寺前にある現在の切通のクランクが、図中にも見える。
4.現在の四つ角(戸張町中央十字路)は、当時まだ十字路になっ
ていない。
5.不動院は大きく描かれている。
6.観貞院とあるのは管天寺のことだが、この地に再建されたのは
落城後のことであり、時代が一致しない。

CGで再現した本丸のイメージ
※画像をクリックすると拡大します。 CGで再現した本丸のイメージ。
城の種類は平山城(ひらやましろ)平地の小高い山や丘に
築かれた城である。

CGで再現した江戸崎城復元イメージ 旧江戸崎町ビデオライブラリーより引用
江戸崎城と江戸崎の街並み
江戸崎城と江戸崎の街並み。現在の江戸崎の街並みの原型が既に構築されている。
町屋(現在の大宿町〜荒宿町の通り)
町屋(戸張町十字路付近)
町屋(現在の大宿町〜荒宿町の通り)
町屋と侍屋敷(戸張町十字路付近)
侍屋敷(現在の戸張町商店街付近)
町屋と水堀(羅漢山、切通町〜西町)
侍屋敷(現在の戸張町商店街付近)
町屋と水堀(羅漢山、切通町〜西町)